取扱説明書とテクニカルライティング

2017年8月9日

 これまでの記事で、取扱説明書を含む使用説明は製品安全達成のための重要なツールであることを書きました。国際規格に準拠した使用説明を作成すること、つまり国際ルールに従ってビジネスを展開することは、使用者の安全と権益を守るために、すべての事業者に課せられた義務なのです。 製品の残留リスクに対する具体的なリスク低減手段として、国際規格であるIEC 82079-1:2012には、さまざまな規定があります。この規格の中で、使用説明を制作する者の要件として「テクニカルコミュニケーションの高度な能力」を求めています。

今回は、テクニカルコミュニケーション技術の一つである、テクニカルライティング(TW)をご紹介します。テクニカルライティングは、情報を正確かつ効果的に特定のターゲットに伝達するための「文書作成技術」です。テクニカルライティング技術を用いて文書を作成する執筆者をテクニカルライターと呼びます。

 

誤解なく伝える、テクニカルライティング技術

 

 文書で情報を伝えて、ターゲット読者に意図した行動を起こさせるためには、ターゲットの知識レベルやニーズを考慮して執筆することが肝要です。前述の国際規格の中でも「ターゲットに対する配慮」について何度も要求しています。それほど、伝える相手は誰かを明確に定義することは重要になります。

製品の使用者は製品の専門家ではないため、設計開発者が日常的に使用している専門用語に馴染みがありません。工場で使用する大型の機械であっても、使用するのは入社して間もない社員であったり、派遣社員であったり、あるいは外国人労働者であったりするでしょう。

また、製品に詳しくない翻訳者が、英語や他の言語に翻訳することもあります。翻訳者が間違った解釈をして翻訳すると、製品使用者に誤った情報を提供することになります。 読み手が情報を理解できなかったり、誤解したりすると、製品を正しく安全に取り扱うことができず、不満を醸成したり製品事故の原因となります。したがって、「読み手が分かる言葉で書く」ことが鉄則なのです。テクニカルライティングでは、読み手中心の執筆を実践します。

 

豊富な語彙や文才は必要ない

 

 テクニカルライティングには、豊富な語彙や文才は必要ありません。とにかく、「誰が読んでも分かりやすい文章」を書くための万人向けの技術なのです。

 

シンプルに書く

 

 読み手を誤解させないためにはシンプルに書くこと。これに尽きます。一つの文章では、あれもこれも書かないで、一つの意図あるいは一つの指示のみを簡潔に書く。そうすると一文は短くなり、文法ミスを犯す可能性は低減します。

一文の長さの目安は50文字程度と言われていますが、50文字を超えてはいけないわけではなく、あくまでも目安として考えればよいでしょう。 これさえ心がけていれば、読み手に誤解されるリスクはずっと軽減します。

 

具体的に書く

 

 同様に重要なことは、あいまいな表現を避けて具体的に書くことです。例えば、「火気の近くでは使用しないこと」という指示では、「近く」とはどの程度の距離なのかが読み手の解釈に委ねられてしまいます。解釈を読み手に委ねることはリスク以外の何物でもありません。誤った解釈は製品の誤使用につながります。誤った解釈を引き起こさないように、数値化するなどして客観的な情報を提供する必要があります。

このような話をすると、「製品の使用環境が異なるので一概に数値化できない」というコメントをいただくことがあります。その場合は「○○の条件で使用した場合」と言うように、条件とセットで数値を示せばよいでしょう。その他にも、「少量」、「しばらく」、「適量」、「一定の」、「最小限」といった表現も曖昧であるため、数値などで具体的に示さなければなりません。

 

すべきことは何かを再確認する

 

 具体性という面では、すべきことを具体的に示すことも重要です。例えば、「本機を清掃する前に、動力が遮断されていることを確認すること」と言った指示は具体的と言えるでしょうか。この文では「確認すること」を指示していますが、本当に伝えたいことは「作業前に電源を落とすこと」のはずです。

その他、「使用するときは、周囲の人に気をつけて操作してください」では、「何をどのように気を付ければよいのか」分かりません。 実は、取扱説明書の診断をしていると、このような曖昧な説明に多く出会います。日本語が曖昧であれば、翻訳する英語も、多言語も曖昧なものとなってしまいます。読み手の解釈に委ねる曖昧な指示がどのようなリスクを含んでいるか想像に難くありません。

ぜひ、貴社の取扱説明書に曖昧な指示が記載されていないか、確認してみてください。指示すべきことを執筆者が改めて再確認にした上で、簡潔明瞭な文書を作成するようにしましょう。

 

能動態で書く

 

 日本語の取扱説明書では、製品仕様書の文章を流用しているためか、受動態(受身表現)が多いと感じます。仕様書は製品が主体となる説明文であるため、「電源が投入されると」「スイッチが押されると」というように主として受動態が使用されますが、取扱説明書では製品の使用者が主体となるため、「(使用者が)スイッチを押すと」というように能動態を使用する必要があります。

使用説明は、製品安全のためにも使用者が利便性を十分に享受するためにも、使用者が容易に理解できるものでなければなりません。 テクニカルライティングは、使用説明を作成するための必須スキルであり、国際ルールとなっています。

テクニカルライティングの具体的な技法については、峰本恵美子氏のコラム「設計者が身につけたい!テクニカルライティング」 も参考にするとよいでしょう。さらに、習熟するには、テキストを入手するか研修などに参加することもお勧めします。

 かつて日本製品の「こだわりの品質」を世界が称賛したように、「日本メーカーの取扱説明書は分かりやすい」と評価されるようになることを願っています。

<a href="https://www.npo-safety.org/expert/yamaguchijunji/">山口 純治</a>
山口 純治

ブランディング、商品プロモーション、製品マニュアル、販売店や社員トレーニング、社内コミュニケーション改善 など、さまざまな情報伝達シーンにおいて「コミュニケーション設計」の支援をしている。
主な活動として、コンサルティング、セミナー、トレーニング・研修、会議やプロジェクトのファシリテーションなどの自立支援活動や、Webサイト・カタログ・パンフレット・動画・マニュアルなどの企画・制作などがある。

 

コラム一覧


第1回  2017年1月31日製品安全と取扱説明書の役割
第2回  2017年2月1日国際規格と各国の規格の整合性
第3回  2017年3月27日製品安全を担う取扱説明書の国際規格
第4回  2017年5月26日取扱説明書の制作者に求められる能力
第5回  2017年8月9日取扱説明書とテクニカルライティング
第6回  2018年11月6日製造物責任法(PL法)と取扱説明書の警告表示