製品安全と取扱説明書の役割

2017年1月31日

 国内の市場が成熟し、私たちの競争環境がグローバル市場にシフトしていく中、国際ルールにのっとったビジネス展開の推進が必須となっています。国際ルールから逸脱した状態でビジネスを展開することは、市場からの退場リスクをはらみます。
したがって国際ルールを知って、しっかりと対応することが最大のリスク回避策といえるでしょう。同時に、ビジネスチャンスを拡大する取り組みにもなります。とりわけ、「製品安全」は各国の消費者(あるいは製品の使用者/労働者)の安全を守るために、極めて重要な経営課題の一つと位置付けられています。ひとたび製品事故が発生し、使用者が重傷を負う、または死亡するような事態が発生した場合は、企業の責任を問われる事態になりかねません。そのときには、製品安全対策がどのレベルで達成できていたかが「カギ」となります。貴社の製品安全対策はバッチリでしょうか?

 このコラムでは、事業者が知っておくべき製品安全対策と取扱説明書の関係についての国際ルールを解説し、取扱説明書の改善によって国際競争における優位なポジションに引き上げるヒントを提供したいと思っています。国内にも適用できるアプローチ方法ですから、海外に進出していない企業の担当者にもお付き合いいただければ幸いです。

 

製造物責任法(PL法)が取扱説明書に与えた影響

 

 日本での取扱説明書は、かつては「製品の取り扱い手引き書」という位置づけでした。安全に関する情報はほとんどなく、製品の使い方を説明する簡素なものでした。製品の安全対策として取扱説明書が注目され始めたのは、1995年7月の製造物責任法(PL法)の施行がきっかけです。PL法の施行前から、米国発の「何やら恐ろしい法律」が日本に上陸する、と保険会社やリスクコンサルタントたちがセミナーなどを開催して国内の製造業者を脅し…いや、啓発して回りました。
当時、PL法の壮絶さをアピールする話題として必ず挙がっていた有名なエピソードが「電子レンジに猫訴訟(猫チン事件)」です。濡れた愛猫を電子レンジで乾かした結果、当然のごとく猫はお亡くなりになり、飼い主が「取扱説明書に動物を入れるなと書いてなかった」とメーカーを相手取り訴訟を起こして勝訴したという事件です。(どうやら都市伝説だったようですが…。)当社も、1990年8月からPL対策に関するコンサルティング業務を開始しています。

 PL法は、1963年に米国カリフォルニア州最高裁判所が、グリーンマン対パワープロダクツ事件と呼ばれる裁判で、「過失を問わない無過失責任(厳格責任:strict liability)」に基づく製造物責任の責任根拠を認めたことが発端となっています。その後、欧州をはじめアジア各国にも普及し、世界中で採用された法律です。
PL法では、製品の欠陥によって他人の生命、身体または財産を侵害したときは、製造業者などはその損害を賠償しなければなりません。ここでいう欠陥とは、一般的に「設計上の欠陥」、「製造上の欠陥」、「指示・警告上の欠陥」の3つに分類されています。「指示・警告上の欠陥」は、取扱説明書や警告ラベルなどの不備(伝えるべきことが正しく伝えられていない状況)を指しているため、各社一斉に取扱説明書などの見直しが始まったのです。

 大手の製造業者は米国の弁護士に相談するなどして、想定しうる製品のリスクについて警告表示として漏れがないように警告ラベルや取扱説明書に記載していきました。以降、来たるべき「訴訟社会」に対応すべく、取扱説明書の冒頭には数ページにわたって警告表示が掲載されるようになり、それは今日まで続いています。このときに多くの企業が参考にしたのが、米国の製品安全警告の記載方法を示す規格、「ANSI Z 535シリーズ」でした。このように、PL法の施行は国内の取扱説明書に大きな変化を与えたのです。

 一昨年(2015年)はPL法施行20年という節目の年でした。しかし、あまりメディアなどで騒がれることなく、静かにその節目の年を終えることになり、我々関係者は少々拍子抜けをしたものです。これまでのPL法による訴訟件数は、「訴訟社会到来」という当初の予測を大きく裏切り、約371件(平成28年3月30日 消費者庁調べ)にとどまり、米国の連邦地裁に提訴された PL 訴訟件数の年間約6万件と比較すると、肩透かしと言ってもよい結果です。だからと言って、PL法の意義が薄れるということには決してなりません。

 製品は社会を豊かにし、人々を幸せにするものであり、製品安全や消費者保護は「ブーム」ではなく、事業者に課せられた当然の義務だということを改めて肝に銘じたいものです。

 ちなみに、米国におけるPL訴訟の1件あたりの評決平均額は、懲罰的損害賠償金は含めず、日本円で約5~7億円となっています。また、全 PL 訴訟の約10%のケースで懲罰的損害賠償金が認められ、実際の損害額以上に賠償額が跳ね上がっています。米国ではPL訴訟の原因の80%(原因は複合的な場合も多い)が「指示・警告上の欠陥」と言われており、取扱説明書などへの警告表示には十分注意が必要です。加えて、集団訴訟(クラスアクション)や弁護士への完全成功報酬(着手金0円)など、訴訟しやすい環境があることも留意しなければなりません。

 消費者(あるいは製品の使用者/労働者)の安全を守るためには、製品そのものの安全設計はもとより、取扱説明書の安全設計も求められます。このコラムでは、具体的にどのように取扱説明書を整備していくかに踏み込んで説明したいと思います。

 

ライター


<a href="http://npo-safety.org/expert/yamaguchijunji/">山口 純治</a>
山口 純治

ブランディング、商品プロモーション、製品マニュアル、販売店や社員トレーニング、社内コミュニケーション改善 など、さまざまな情報伝達シーンにおいて「コミュニケーション設計」の支援をしている。
主な活動として、コンサルティング、セミナー、トレーニング・研修、会議やプロジェクトのファシリテーションなどの自立支援活動や、Webサイト・カタログ・パンフレット・動画・マニュアルなどの企画・制作などがある。

 

コラム一覧


第1回  2017年1月31日製品安全と取扱説明書の役割
第2回  2017年2月1日国際規格と各国の規格の整合性
第3回  2017年3月27日製品安全を担う取扱説明書の国際規格
第4回  2017年5月26日取扱説明書の制作者に求められる能力
第5回  2017年8月9日取扱説明書とテクニカルライティング
第6回  2018年11月6日製造物責任法(PL法)と取扱説明書の警告表示